「落実」(2022.08) - 1/2

枇杷の木に封じられた宿儺が恵(6才)にちょっかいをかける話。メリバ。カニバ。
呪いや宿儺の指はある現パロ。うっすら不穏な雰囲気。
恵はあとで15才になります。術式の独自解釈あります。

 

時は春、
日はあした
朝は七時ななとき
片岡に露みちて、
揚雲雀あげひばりなのりいで、
蝸牛かたつむり枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ロバート・ブラウニング「春の朝」

 

 

ぬるい土に抱かれた、永い微睡みのなかから宿儺を目覚めさせたのは、無遠慮に樹冠に降りそそぐ太陽の光ではなく、木陰の奥のひびわれた幹をなでる小さな眼差しだった。

深い眠りから浮上した宿儺は、まずは寝起きの伸びをするように、豊かに茂った緑葉を通じて深呼吸した。かたわらから若い生き物の生々しい匂いがした。人間の子どもだ。

宿儺が眠っていたこの場所には、かつて特級呪物・両面宿儺の指の一本を厳重に封じていた祠があった。だが百年も経たないうちに人足は途絶え、祠は寂れて崩れた。そこへいかなる神仏の意志があったものか、身代わりになるように指を封印する役目を受け継いだのは、そばに生えていた一本の枇杷の木だった。その根は長い時間をかけて、祠の残骸ごと指を土の下へ招き入れた。風雪を耐え、台風や落雷を生き延び、たまに宿儺の呪力に引かれてやってきた呪霊の攻撃に身を削がれながらも、みっしりと枝葉をたくわえた立派な老木となって、こじんまりとそこに立っていた。そのあいだ、宿儺の意識は眠っていたが、無意識の領域では枇杷の木を介して周囲の気候の移り変わりを感じ取り、遠くの人声が空気を震わせて伝えてきた振動に耳を傾けていた。それによって、宿儺が封じられてから千年の時が経ち、かつては鎮守の森であったこの一帯は大部分を削られてただの雑木林になっていることを理解していた。かといって、この根の下から動けず眠るしかない宿儺にとってはどうでもいいことだった。

そうした悠久かつ退屈な時を経て訪れた幼い珍客に、目覚めたからといって特にやることもない宿儺は投げやりに意識を傾けた。気配から察するに、六つか七つくらいの男子であった。成長期の最中であろうが、発される陽の気は静かで控えめだ。だが、その視線には大人びた鋭さがあった。これまでにも雑木林をうろつく人間はいたが、宿儺の指を孕んだ枇杷の木に興味を示す者はおらず、ただの樹木の一本と看過して通り過ぎていった。だが、いまここにいる子どもは、明らかにこの木をただの樹木としては見ていない。幹の奥のその奥を見透かそうとするような視線。この子どもは、呪力を視る目を持っていることを宿儺は察した。隠されたものをよく見通すその眼差しの干渉によって、宿儺は覚醒させられたのだ。

枇杷の木をしげしげと眺めていた子どもはやがて、その周囲を検分し、枝を掻き分け始めた。この木は三尺ほどの高さから幹が枝分かれし、剪定もされずに絡み合った枝葉に周りを囲まれ、まるで木のうろのような空間ができていた。子ども一人くらいなら抱え込める広さだ。果たして、そのうろを見つけた子どもは好奇心を得たのかするりと中にもぐりこんだ。やがて腰を落ち着けた子どもの気配が緩むのを感じた。この年頃であれば、暗くて狭いところは本能的に好ましいのであろう。宿儺はさらに分析する。幹に預けられたその体重は、小さい体躯であることを差し引いてもいささか軽かった。遠くから聞こえる鳥のさえずりの合間に、くう、と小さく腹の音が鳴るのを聞いた。育ち盛りで胃の腑が空になるのが早い、と解釈するには生気が足りない。千年前にも飢えた腹を抱えて路傍にうずくまる子どもは珍しくなかったが、この太平の時代になってもそれは変わらないらしい。うろの中の子どもは何かに耐えるように、あるいは思考に沈むように沈黙していたが、日が暮れるころになると立ち去っていった。

それから、その子どもはたびたび宿儺のもとを訪れてくるようになった。秘密の隠れ家として認められたということだろう。子どもはいつもうろのなかで静かに過ごし、身内の者を連れてくることなどはなく、常に一人であった。戯れに呪力を用いて幹なり枝なりを揺さぶって驚かし追い出す手もあったが、宿儺はそれをせず気配を凪のままに抑えた。そしてもっと面白いあそびを考えついた。

 

その日、やってきた子どもが驚いて息を飲むのを宿儺は感じ取った。うろのなかに座って見上げるとちょうど目に入る位置に、枇杷の実がひとつ成っていることに気づいたようだ。

この枇杷の木は花や実をつけたことが過去に一度もない。おそらく宿儺の指を完全に封じ込め、その呪力を拡散させないことにすべての精力をつぎこんでいるせいだろう。その代償として、この木の内部は宿儺の呪力で満ち溢れ、その器官が得る情報はすべて宿儺に通じ、その機能を利用することも可能だった。そこで宿儺は呪力を練って眠れる機能を呼び起こし、ついに果実を実らせることに成功した。橙黄色をしたその枇杷の実は、薄暗いうろのなかで太陽のように子どもの頭上に輝いていることだろう。きゅう、という腹の虫の鳴き声が響いたのは、気の所為ではないだろう。しばらくそこに視線が釘付けだった子どもは、思いついたようにうろを出てどこかへ走り去った。やがて戻ってきた子どもの手元から、ぱらぱらと紙をめくる音が聞こえた。どうやら書物で果実の正体を調べているらしい。幼い男子にしては慎重なものだ。やがて得心が行ったのか、意を決して、子どもの柔い手が果実に触れ、おもむろにもぎ取った。思わずほくそ笑まずにはいられない。

宿儺の呪力で満ちたこの枇杷の木はいわば宿儺の身体の代替である。根毛から若芽まで、その細胞が受容した刺激は余さず宿儺へ伝達される。つまり、この枇杷の実もまた宿儺の感覚器官のひとつだということだ。産毛の生えた果皮に伝わる体温。その皮を剥く小さな指先。顕になった内面に食い込む粒粒とした歯。果汁にぬれた温かく柔らかい舌を、今は宿儺の手指と同一である果肉がぬるりと撫でた。久方ぶりの、懐かしい肉の感触に、目が眩むような甘い快感をおぼえた。小さく噛み潰された果肉は、更に子どもの喉奥の粘膜を撫で、食道の襞肉のひとつひとつをたどり、噴門を名残惜しげにくすぐり続けた後、酸の海に落ちて伝達が途切れた。宿儺はわれ知らず深い溜め息をついて、呼応するように緑葉たちもざわりと呼気を吐いた。触れることのできた内臓の熱さも蠕動も、内膜の向こうで脈打つ血液の匂いまでもが、宿儺に震えるほどの法悦をもたらした。今このときにやっと宿儺のすべてが覚醒したような晴れやかさ。生命の躍動に接触したことで、忘却したはずの食欲が湧き上がるような感覚さえした。もっとだ。この熱い血潮をたくわえた若い肉体の外身を中身をもっと撫でたい。味わいたい。飲み込んでしまいたい。

宿儺は千年ぶりに噴出した己の欲望を胸の内でしみじみと堪能した後、自分が宿儺の情動を目覚めさせたことなど露ほども知らない子どもに改めて意識を向けた。宿儺がつくった果実を子どもが食べたことによって、両者のあいだに深く強い因縁が結ばれたことがわかる。満を持して、宿儺は子どもにささやきかける。

『枇杷は美味かったか?』

思いがけないであろう人声に子どもはびくりと体を震わせた。結ばれた因縁によって、宿儺のささやきを子どもが感受できるようになった。

「……誰かそこにいるのか?」

動揺を隠した静かな声を発した子どもは、うろの外を警戒しているようだ。

『俺の声はオマエにだけ聴こえる。普段オマエにだけ見えているものと同じように。』

言葉の意味を理解したのか、子どもの注意は枇杷の木に移った。

「……この木に取り憑いてるやつか?」

やはりただの木でないことは分かっていたらしい。話が早くて助かる。

『俺のことは、木霊こだまのようなものと思え。』

当たらずとも遠からずであろう。しばしの沈黙のあと、恐る恐る問われる。

「もしかして……この実、食ったらいけなかったか?」

焦りをみせた子どもに内心にんまりする。その幼い胸の内に取り入るよう言葉を選んで答える

『いいや。永くここにいて退屈していたところにオマエが来た。腹が減っているようだから、暇つぶしに枇杷を食わせてやろうと思っただけだ。不安に思うことはない。』

好々爺然とした返答に、子どもはひとまず肩の力を抜いたようだ。さて、これからこの子どもはどう行動するだろう。宿儺に気を許すだろうか、それともやはり恐れをなして去ろうとするだろうか。ここで終わってしまうのはもったいない。もう一度子どもに果実を味わわせ、宿儺もまた子どもを味わうために、どう言いくるめるか考えていると、何やら思案していた子どもが先に口火を切った。

「なぁ、木の実ってのはひとつだけじゃなくて、いくつも実るものだろう?」

『ん?』

「これだけじゃなくて、もっとたくさん枇杷をつくることはできないのか?津……姉にも食べさせてやりたい。果物は高価だからめったに買えないんだ。」

宿儺は思わず声を上げて笑ってしまった。小さな体に反してずいぶんと居丈高な要求だ。

『タダでたくさん寄越せということか。業突く張りな奴だな。』

笑われたことで子どもは一瞬ひるんだが、健気にやり返してくる。

「いいじゃねぇか。どうせ鳥が食い散らかすもんだろ。」

さてどうするか。己の呪力をもってすれば、枝という枝に果実を鈴なりに実らせることは可能である。だが、宿儺の呪術の本領はそんなものではない。企みのための情報を集めるために、宿儺はかねてより尋ねてみたかったことを尋ねた。

『オマエたちの親は、十分な飯をくれないのか?』

すると子どもは、分かりやすく機嫌を降下させてつぶやいた。

「親は……いないようなもんだ。」

『というと?』

「母親はたまにしか帰ってこない。親父は顔も忘れた。俺たちに興味ねぇんだ。」

だからこっちも期待しねぇ、と吐き捨てる声音を介して、子どもの心の暗い部分を垣間見た。ここへ来る度に、うろの中でじっと何かに耐えるように座っていた子どもの様子を思い出す。この子どもはもうずっと断崖のぎりぎりに立っていて、絶望を耐え忍ぶことでやっと命をつないでいる。魔物にとってこれ以上に美味しい獲物はない。宿儺は子どもに優しくささやいた。

『三日後にまたここへ来い。オマエにいいものをくれてやろう。』

 

そして三日後、宿儺のもとへやってきて、うろの中を見上げた子どもは戸惑っていた。そこにはたくさんの黄金の実――ではなく、形は枇杷だが赤い色をした実がたったひとつぶら下がっていたからだ。

「……何だよコレ。」

『これはな、呪いの実だ。』

「は……のろい?」

『効果を説明してやろう。感情に作用する呪いだ。この実を一口でも食べた者は、そばにいる人間に対して執着心を増幅させる。』

「え……何?」

『分からんか?オマエたちの親のどちらかに食わせれば、目の前のオマエたちに執着を抱いて世話を焼きたくなるだろう、ということだ。結果として、現在の苦境が解決するかもしれないな。』

当面の問題として、この子どもが宿儺の預かり知らないところで飢え死んだり悪党に拐かされたりするのは面白くない宿儺にとっても、適当な大人の庇護を得ることは望ましいことである。宿儺の説明を聞いても、子どもはまだ混乱から脱していない。

「……話が違うじゃねぇか。」

『俺は三日後にいいものをくれてやると言っただけだ。オマエの要求通りのものを用意するとは言ってない。』

「それは……」

『口約束といえども、よくよく考えて交わすべきだったな。』

そうからかわれて、子どもはむくれた様子だ。

「オマエ……ホントはいい奴じゃないな……。」

あどけない物言いに宿儺は愉快な気分になってきた。例えわずかな間でも、宿儺を善人などと勘違いする者など、千年前には一人もいなかった。子どもは腹を立ててはいたが、ここを去ることはせず、赤い実を見つめていた。

「これを食べたら、ホントに呪われるのか……?」

『他愛もない呪いだ。まかり間違っても死にはしない。』

子どもはためらっている。宿儺の言を信じていない、というわけではないようだった。呪いへの忌避感。もとより、この時代の人間にとって呪術は馴染みのないものに違いない。

『どうせ好いてはいないのだろう。独り立ちするまで利用してやればいい。オマエがうまく立ち回れば安寧を得られる。生き延びるための行為なら、天も咎めはしまい。』

年齢より大人びているこの子どもには、そういった処世術の必要性を理解できるだろう。これは罪悪ではないのだと、軽い調子で言い含めてやった。

だがそれに対して、子どもがつぶやいた言葉は、不思議と宿儺の耳におごそかに響いた。

「――でも、人の心をもてあそぶのは、悪いことだろう。」

そのとき自然と想起されたのは、かつての昔、呪いの王である宿儺に烏滸がましくも仏の道を説こうとした法師たちだった。(もちろん賽の目切りにしてやった。)投げかけられた言葉は違えど、彼らの仏性が千年の時を超えて、子どもの口を借りて今ささやかな説教をしにやってきたのか、そんな錯覚に見舞われた。飢え死にしかけながらも尚誇り高いこの子どもは、さながら仏法を守護する護法童子の化身であろうか。ならば尚更、この子どもにこそ、宿儺の呪いを受け取らせたい。そうせねばなるまい。蛇の舌は誘惑のための言葉を放つ。

『そういえば先日は、姉に枇杷を食べさせたいと言っていたな。』

あの一言で、子どもが姉に対して情を抱いていることは端的に察せられた。

『オマエがこの実を使えば、姉の命も助かるかもしれないなぁ。』

子どもが息を呑む気配がした。ささやかだが、これまでで最も手応えのある反応だった。宿儺は殊更に優しくささやきかける。

『実を持ち帰ってじっくり考えてみてもいい。ただし、三日経てばこの実は崩れて消滅する。そして、誰かに食べさせたときはその時点で代償が発生する。』

「代償……?」

呪いの実の仕組みをいえば、果肉を舌にのせた瞬間に宿儺の呪力が対象の脳に到達し、感情を司る部分を的確に刺激することで効果を発揮する、術式にも満たない式を打ち込んだだけの代物だ。それほどだいそれた対価は求められない。

『そうだな、俺の退屈を紛らわすために、今まで通りにオマエがここに通い、必ず枇杷を食べる、というのでどうだ?』

オマエが食べる実には呪いを打たないから安心しろ、と付け加える。

『この呪いの責を負うのは、オマエだけということだ。』

子どもの視線が鋭さを増して呪いの果実を、宿儺を射る。

「……本当だな?」

『縛りに関して、俺は絶対に嘘を吐かない。』

虚実を見極めようとする子どもの眼差しを、宿儺は堂々と受け止める。

「期間は?」

『実の効果がなくなるまでとしよう。オマエの眼なら見分けられるだろう。』

「それってどのくらい?」

『被呪者の耐性による。三月みつきかもしれんし、三年みとせかもしれん。』

子どもは沈黙する。幼い頭脳を猛回転させて損益の天秤を計っているのだろう。そしてその天秤は、きっと宿儺の望む方に傾き始めている。

『誓約の証として、名乗りを上げよう。俺は両面宿儺という。』

伝えるべきことはすべて伝えた。宿儺もまた沈黙する。うろの外の世界は、今日も何事もなく穏やかな風が吹いている。やがて子どもは決意を固めた。

「――俺の名前は、伏黒恵だ。」

そうして子ども――伏黒恵は伸び上がって赤い実を力強くもぎ取った。それはこれまで宿儺が結んだ縛りの数々のなかでは、非常にささいな約束に過ぎなかったが、大いな満足感を得られるものだった。

伏黒恵は手の中にある呪いの実を見つめながら、無意識にか、小さく吐息をこぼした。宿儺の感覚器官である果実は、それがほとんど声にならない言葉で、おとうさん、とつぶやいたことを感知していた。

 

それから太陽が七度ななたびほど沈んで昇った後、再び伏黒恵は宿儺のもとへやってきた。あいも変わらず鳥たちがさえずる昼下がりの明るい大気とは裏腹に、恵は浮かない様子で、黙り込んだままうろの中に座り込んだ。それでも、幹に預けられた体重はこころなしか以前より重さを増し、生気も年相応に満ちている。

あの呪いの実がその効果を発動させたことは、何日も前に宿儺は感知していた。距離が離れたことで詳細な情報は伝達されなかったが、少なくとも、あの実を食べたのは女だということは感じ取れた。黙している恵に宿儺も話しかけることはせず、周りの枝葉をわさりと揺らしてやった。空気が撹拌されてゆるい風をつくり、恵の皮膚を撫ぜていく。それをゆったりと繰り返していると、それが宿儺の意思によるものとやがて気付いたのか、恵はため息をついた。

「……姉の母親に食べさせた。」

あきらめたように恵は自ずから口を開いた。宿儺は無言で先を促す。

「急に口煩くなった。食わず嫌いするなとか、門限を守れだとか、毎日宿題見せろだとか……あんな人じゃなかったのに。」

胸の内の澱を吐き出すように言葉を紡ぐ。だが、本当に吐き出したい澱はそんなものではないのだろう。そして恵は苦しげに言葉を続けた。

「でも……津美紀は嬉しそうだ……。」

恵は何かに苛まれるように体を丸めて強張らせている。

「帰ってきて、よかったって……。俺はアイツの大事な人を呪った……。」

覚悟はしていたはずなのに、とつぶやいてからは、言葉を失ったように沈黙した。宿儺にとっては、大海に落とした小石の波紋でしかないあの呪いは、小さな恵の小さな心のなかでさざ波のよう寄せては返しているようだった。そのいとし気な波は振動となって恵の声から樹皮に伝わり、宿儺を心地好く揺らした。その心をもっと揺さぶるための言葉を選ぶ。

『善とは調和だ。オマエが賢く振る舞ったことで、オマエたちは安定を得た。母親も含めてな。それが正しくないと誰が言えよう。』

恵は律儀に宿儺の言葉を咀嚼して、やはり否定した。

「……でも、俺が何をしたのか、津美紀には絶対、一生言えない。言えないってことは、正しくないってことだ。」

伏黒恵の魂は善悪のあわいに敏感に反応する。そんなものを見定めようとするのは無駄なことだというのに。その様はなんとも愚かで、孤高で、高潔だった。それを目の当たりにして、からかってみたくなるのも致し方あるまい。

『オマエは己の気鬱の理由をそのように考えているようだが、本当はもっと卑近なところに要因があるのではないか。』

「は……?」

先程の「姉の母親」という微妙な言い回しから、実を食べた女は姉の実母であり、恵にとっては継母であることが察せられた。であれば、男親のほうが恵の実父である可能性が高い。そして先日の恵の無意識のつぶやき。

『例えば……あの呪いの実にこれほど効果があるのなら、自分の父親に食べさせればよかったと悔しがっているのではないか。そうすれば、オマエにとってより望ましい幸いを得られた。』

恵は数瞬呆けていたが、意味を理解した途端、息を止めて硬直した。

『あるいは、母親がそばにいることで大好きな姉の関心がそちらへ移ってしまったのが恨めしいのか。姉弟二人きりのときは、オマエがそれを独り占めできていたのになぁ。』

木に触れている恵の体の脈が早くなり、体温がじわじわと上がっていく。顕著な反応だ。虚をつかれて狼狽しているのか、羞恥を覚えて悶えているのか、うまく呼吸できずにぐらついてる恵にこっそりほくそ笑んでいると、不意に恵はうろの中から跳ねるように降りた。続けざまに幹へどしんと衝撃が与えられる。恵の足が渾身の力で蹴ったのだ。

「オマエ、ふざけるなッ!」

恵の小さな体から怒気が爆発的に吹き出している。出会ったときからずっと平熱を保っていたその心身の、どこにそんな覇気が隠されていたものか。

「バカにするな、ふざけるな……!」

激しい情動を制御できないのか、同じうわ言を繰り返しながら今度はこぶしをごつりとぶつけてきた。その怒りはこちらが面食らうほど真っ当で、濁りのない青い炎のようにめらめらと燃えていた。

「俺は……俺は、津美紀が幸せならそれでいい、恨んだりなんてしない!」

荒い息を吐きながら、恵はやっとのことでそう言った。宿儺のもとに遣わされた護法童子は、そう簡単には宿儺の呪詛に屈しないということらしい。想定以上の歯ごたえに、尚更心が躍った。

『存外、気性の荒い小童だな。そら、甘くて美味い枇杷がある。コレで機嫌を直せ。』

「……うるせぇ。」

『ここへ来たらコレを食べる約束だろう。縛りを違えれば罰を受けるぞ。』

恵はしばらく渋っていたが、やがてうろの中に戻って実を手に取った。だが恵の尊厳を辱めようとした宿儺に対して未だ憤懣遣る方ないようだ。

「オマエは……本当に悪い奴だ……。」

それを心底思い知ったような一言であった。そんな相手に、文字通り心も体もぶつけて張り合った恵の気骨に、少しは褒美を与えてやってもいい。

『だが、オマエの秘密を共有しているのは俺だけだ。そのやるせない思いを理解できるのも、俺だけだ。そして、俺は此処でオマエが来るのをいつでも待っている。枇杷の実とともに。』

それは慰めでもあり、宣誓でもあり、切願でもあった。伏黒恵は、ささやかなものとはいえ宿儺が誓約を結ぶ相手として、申し分ない存在であることを改めて表明する。その意志を感じ取ったのか、恵はささくれた気配を少しだけ和らげた。

「……二度と俺のこと、バカにするなよ。」

『まぁ、善処しよう。』

「……チッ」

舌打ちしながらも、恵は果実に口をつけた。上がった体温の余韻が残る熱い肉の感触は、再び宿儺を悦ばせた。しかし今となっては、その肉体だけでなく魂にも欲を向けていた。あの裏梅ならば、この気高い魂をどう料理するだろう。油で揚げるか、炙り焼きにするか。手に負えないから生でかぶりついてくれ、と宣うだろうか。今はまだ、幼いがゆえに青臭さがただようが、いずれ成長して熟成し、そのときもまだ誇り高く独り立っていることができていたなら、きっとそれが最適な食べ頃であろう。

土中の根の檻から動けない宿儺には、ただそれを夢想することしかできない。だが、宿儺と恵を結ぶ因縁は、恵が誓約によってここに通い続けることでより深く濃くなっていくだろう。それによって、水滴が長年かけて石を穿つように、二つの世界の境界に裂け目ができる公算はある。そのときこそ、大願成就させてみせよう。